文章が読めない人は、主語をすぐ省略する
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国語の基本は、まず文章がわかる事。
文章がわかるというのは、その文章が何を表現しているのか理解できるという事だ。
で、文章の中で一番大事なのは、述語だ。
主語のない文章はあるが、述語のない文章はない。
述語がないのは文章とは呼ばない。
だから文章を理解するには述語を見つけ、そしてその述語に対応する主語を見つけるというのが大事な作業になる。
これを意識しているかどうかは、話し方ですぐわかる。
主語・述語を意識している人は、主語を可能な限り言う。
話というのは、何か伝えたい事があるから話すわけだが、伝えるためには主語と述語がハッキリしていないと伝わらない。
それがわかっているから、主語はできるだけ落とさない。
逆に言うと、感覚で生きている人というのは、話をしても主語が曖昧で、どんどん脱落する。
学習塾の講師にも、そう言うタイプはいるから、注意が必要だ。
こういう講師は、贔屓(ひいき)はするし、自己中心。
自分と他者の区別が付いていないし、子供の事を見ていない。
国語の第一歩は、核文を押さえる事
誰がどうしたとか、何がどうだというのは、文章の核だ。
言語には核文(核になる文)というのが5~12くらいあって、英語では7つの核文が英語という言語を作っているという。
日本語の場合、核文がいくつあるのかは知らないが、そういう核文をしっかり押さえられるかどうかが、国語学習の第一歩と言う事になる。
で、一番簡単な核文は、
- 誰が・どうした。
(述語が動詞)
- 誰が・どうだ。
(述語が形容詞または形容動詞)
主語がモノの場合は、
- 何が・どうした
- 何が・どうだ。
日本語の場合、主語が省略される事が多いので、省略された主語が何であるかが、一々確認していく癖が付かないと、長文を読んだ場合、誰がどうして、何がどうなったのか、わからないという事になる。
出口汪さんの「新日本語トレーニング」では、最初に主語・述語と他の言葉の係方を何度も問うているけど、結局これができないと、どうしようもないんだね。
京大を目指しているような受験生でも、和文英訳ができなかったりするんだけれど、日本語の主語・述語関係を意識的に読みとるのは結構難しいんだ。